トップページ>私が農業をはじめた理由
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なんで農業はじめたの?
何故って聞かれると、どう答えていいのか・・・

平成8年の3月、母親が亡くなりました。
それより7年前に父親がすでに亡くなっていたので、
根っこからチェーンソーで切られた木みたいな感じでした。

私の父親は単身赴任でほとんど家に居なくて、
母親と祖父母が農業をやっていました。
だから、父親が亡くなった時にはそんなに感じなかった農業というものが、
母親が亡くなった時ににはドーンと私にかかってきたのです。

それでも、母親の忌明けまではボーっとしてました。
忌明けの食事の時です。親戚のおじさんたちが言い出しました。
『もう、おまえんとこの梨の花さいてるやろ! 花とって受粉せなあかんぞ』
『花採って、農協もってこい。教えてやるで』
えっ・・・・私に言ってるんかな?・・・

こんな気持ちでおじさんたちの話を聞いていたのですが・・・
忌明けの後かたずけもおわり、梨畑に行って私は泣きました。
受粉樹の花が満開でした。
母親からのメッセージだと今でも思っています。
『ボーっとしてたらあかんよ。これからはあんたにまかせたよ!』
そう言ってるようでした。
次の日から私の農業が始まりました。

そんなわけで農業をはじめたのですが・・・・
最初の年は何をすればいいのか、どうしたらいいのか全く解らなくて
母親のしていた事を思い出そうとするのですが、いやいや手伝っていたので
記憶に残ってないのです。情けなかったです。
 
その頃の私はと言うと、強がってました。
私一人でできる!母もやってたんだから・・・そう思ってたのです。
近所の人にも聞かないしホントどうしようもないやつでした。
だから、結果は聞かなくても解りますよね・・・
適正着果数が解ってないのでいっぱい梨をつけました。だから梨は小さいし、
潅水のタイミングもわからなくて水ばっかりやっていたので
糖度は低い、おまけにカメムシまで大発生して・・・・
(虫がいたのは知っていたのです。でもこの虫がカメムシでどんな被害を
もたらすのかを知らなかったんです)

そして、お客さんの一言『お母さんの梨のほうが美味しかったね』
もう、ノックアウトです。
最初から一人で出来るなんて、思い上がってた罰です。
それから、これではダメだ・・勉強しないと・・・そう思ったら謙虚になり、
普及センターの先生や、梨つくりの先輩の方の言うことを素直に聞けるようになりました

母を超える梨をつくるぞ!!
初めて梨を作った年に、私に「お母さんの梨はおいしかった!」と言ったお客さまが
「だんだんお母さんの味に近づいてきたね」と言って下さいました。
私の永遠のライバルで一番尊敬する母を超える日がいつか来るように
今勉強中です。